
ハンガリー動乱 - Wikipediaハンガリー動乱(ハンガリーどうらん)とは1956年にハンガリーで起きたソビエト連邦の権威と支配に対する民衆による全国規模の蜂起をさす。1956年10月23日、ハンガリーの人々は政府に対して蜂起した。ソビエト軍は反乱に対して介入し、ソビエト軍部隊(戦車2500両・15万人の歩兵部隊)が侵攻した。ソビエト連邦に支援された新しい共産主義政府を組織され、政権の閣僚や評議会を指導していた多くの市民が新政府によって処刑された。1960年代に発表されたCIAの推定によると、およそ1200人が処刑。この一連の戦闘の結果として、ハンガリー側では死者が17000人に上り、20万人が難民となって亡命した。19世紀のヨーロッパでは民衆の蜂起はたいてい政権交代に繋がったが、この時は成功しなかった。なぜか。
ナポレオン三世に始まるヨーロッパの首都での街路整備と戦車の発明で古典的な民衆蜂起は物理的に不可能となっていたのである。誰もソ連軍はやってこないだろうと思っていたのだが戦車が出てくるとひとたまりもなかった。
日本にはそもそも古典的民衆蜂起の伝統がないので、政府も街路を整備する必要性を感じなかったのか、いまだに都市の道は狭く、おまけにコンクリートの電柱だらけ。戦車は通りようもない。だから東京なんかは民衆蜂起が成功する可能性は残っている街なんだけれど、今どきの人は行動に訴えないからお上も安心して都市貧民から搾取してイナカへのバラマキを続けることが出来る。
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